古墳の旅

古墳を訪ねて750km

八丁鎧塚古墳 長野県須坂市

夜中の2時に古墳を想う

秋も深まった11月のある日曜日。夜中の2時頃、ふと目が覚めた。

そしてなぜか眠れなくなった。布団の中でじーっとしているうち、

「あー。秋だから八丁鎧塚古墳、柿の実が実っていい感じだろうなあ」

と思いついてしまった。

以前、ネットでこの古墳の写真を見つけ、古墳に生えた柿の木が何だか素敵に立っているのを見てしまったのだ。秋になったら葉が落ちて、きっと柿の実がポツポツついているだろう、と思っていたのだ。

でも遠いよな、でも多分いい感じだよな、と思案するうち、

「もう行こう!」

と決意した。

決意してしまったのだから、もう行くしかない!

ぼくはすぐに着替えをして、車に乗ったのであった。

石積みと柿の木の素敵な古墳

そうして、ぼくは高速道路を運転し、はるばる長野県須坂市の八丁鎧塚古墳へやって来た。

神奈川県の自宅から約250キロの距離である。

3時間半ほど運転してきたが、まだ夜明け前の5時50分頃だった。

西の空には満月があって、徐々に沈んでいくところだった。

徐々に空が明るくなってきて、石積みでできている古墳が見えてくる。想像通りに実を付けた柿の木も、空に浮かび上がってくる。ああ、素敵。

二つ並んだ石積みの古墳の周りをカメラ片手にぐるぐる歩き回る私であった。

2時間ほどそうしてぐるぐる歩き回り素敵な古墳を堪能した。

本当の予定は・・・。

ところで実をいうと、この日ぼくは違う古墳へ行ってみようと思っていたのであった。

それは茨城県ひたちなか市にある虎塚古墳で、長野県とは全く方向が違うのであるが、だからこそ今朝、須坂へ向かってる場合なのか悩んでいたのだが、この八丁鎧塚古墳を堪能し終わった今、まだ時間は朝の8時前なのであった。

虎塚古墳は石室の壁面に不思議な幾何学模様が描かれた珍しい古墳で、春と秋の年2回、その石室を公開するのだが、この日はその公開日だったのだ。

ん? 行っちゃう? ひたちなか?

ここでまた思ってしまう私なのであった。

思ってしまったのだから、仕方がない。ひたちなかへ向かうことにした。

ナビに入れると距離は約300km、時間は4時間弱だ。

そばを食べていたら思いついた寄り道

そんなわけで、ひたちなかへ向かって上信越道を南下し始めたぼくだったのだが、松代パーキングでそばを食べているうちに、

あれ? これ、すぐ善行寺平(長野盆地)だよなあ。てことは、森将軍塚古墳あるよなあ。

とまた気が付いてしまい、気が付いたものはしょうがない。寄り道して行くことにした。

森将軍塚古墳は盆地のへりに出た尾根の先の高台に迫力を持って鎮座しており、そこからの眺めもちょっとほかの古墳では見たこともないような高度感があって、これまた素敵であった。

森将軍塚古墳の麓の復元遺跡

やっとこさ、虎塚古墳

そうして、それから3時間ばかりかけて茨城県ひたちなか市へ向かったのであった。

その道中も、関越自動車道から北関東道にかけての辺りは、ちょっと外を見渡すと、古墳らしきこんもりとした森があちこちに見え、そのたびに、あ、怪しい、あ、怪しい、とワクワクしながら走ったのであった。

そうしてついた虎塚古墳だったが、メインの石室はさすがしっかり管理をされていて、2重の前室を通って入った見学室のガラスの窓から石室を見るようになっていた。

何だか暗いし、足場のようなものも組んであって、そして何より撮影禁止だったので、何か変わった写真が撮れるかな、と思っていたぼくはちょっと落胆した。

それより驚いたのは、この石室、発掘した際に中から人骨が見つかって、その人骨は骨壺に入れられて、この石室の片隅に置かれていることだった。

たしかに、この人はこの古墳に葬られたのだから、この石室に安置されているのはいいことだと思う。でも、折角石室にきっと横たわって千数百年寝ていたのに、何か急に狭い骨壺にざらざらっと押し込められちゃったような気もして、なんだか少しかわいそうな気になったのだった。

虎塚古墳のすぐ近くにある十五郎穴横穴墓群

そうして、神奈川の自宅まで帰ってくると、車の走行距離は750kmだった。

思い付きで走り回った一日だったけど、充実した良い日だった。

皆様も是非、お出かけください。

 

 

 

 

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