第5回東海道徒歩の旅 神奈川 台を行く
さて、時は2012年2月26日。
いつもは半年くらい間が空いてしまう我が東海道徒歩の旅だが、今回は3カ月ぶりの出発だ。
そして、今回から新メンバー「ベー子」の登場である。前回もゴール地点にやって来たので登場自体は2回目だけど、ついに今回は一緒に歩くのだ。
しかし、歩くといってもベー子、まだ齢5カ月の赤ん坊である。ベビーカーに乗って勇ましく出発だ。
スタート地点は前回の終着地点、京急神奈川駅駅前の青木橋交差点。
この青木橋交差点から行く先を見ると右手は急な高台で、この高台のへりを旧東海道が通っている。
この高台を「台」というらしく、ここの風景を描いた広重の浮世絵も「神奈川 台の景」だし、いまもここの町名は「台町」だ。
この青木橋からの風景には不思議なものがあって、交差点の向こうにあるお寺らしき建物がコンクリートの柱でできた台に支えられて、ビル5,6階分高い位置へよいしょと持ち上げられてしまっているのだ。これは是非、近づいて探検してみたい。
そうして、勇ましくも軽やかにベビーカーをゴロゴロ言わせて出発した我々であったが、何かこの道、若干薄暗い気配なのである。
有名な広重の「神奈川 台の景」の浮世絵では、このへりの海側に茶店が並び、その向こうには海が広がっている。見晴らしを売りにした茶店だったらしい。
いまは、昔茶店が並んでいたところにはマンションが立ち並び、旧東海道からは見晴らしどころかマンションの外壁しか見えず、マンションとマンションの隙間からむこうの海だったところを眺めても、コンクリートに覆われた横浜の街が見えるだけだ。
なので旧道も、右手の高台と左手のマンションに挟まれた谷間の暗いところを進むような感じなのだ。
残念な感じもするけれど、この二つの風景の間にある時間を想像するのは「まちがいさがし」をしているようで面白くもある。
天狗がどりゃー!とお出迎え。
そんなことを思いながら進むと、右手の高台側に大綱金刀比羅神社があった。旧道沿いに鳥居はあるが、神社は結構長い階段の先だ。
今回はベー子参戦によりベビーカーを押しているので、若干ひるんだが、出だしからそれではいかんと長い階段をベー子を乗せたままベビーカーを持ち上げて登って行ったおれなのであった。
大綱金刀比羅神社の社殿の脇には、気の切り株の上に天狗の頭部の彫刻がまるで天狗が「どりゃー!」と叫んでいるように刻まれていて、謎の迫力を周囲にまき散らしていた。
その先には小さな池があって飛び石で歩いていけるようになっていて、その先には弁財天を祀った祠もあり、思いがけず素敵な神社であった。
そして、この神社からふと上方を見上げると、なんと目の前にさっき青木橋の交差点から見えた、あの土台に乗っけられたお寺らしき建物が「どでん」と目の前に覆いかぶさるように聳え立っていて、やっぱり不思議な景色だ。
そういえば、この神社の参道の隣にあるビルへの入口に「参道」と書いてあり、どうやらこの上にあるお寺へ行くためのエレベーターもあるようなのであった。
きっとこのお寺も昔は大綱金刀比羅神社と隣り合って建っていたのだが、いつしか土台を作って上の段へ上がっていってしまったのではないかと思う。なかなか珍しい景色なのであった。
さて、旧道へ戻って先へ進む。
少し坂道を登っていくと、昔ならんでいたお茶屋さんの名残で料亭が一軒残っている。この料亭は坂本龍馬の妻だったおりょうさんが坂本龍馬亡き後、働いていたことがあるというのでも有名なようだが、まあ、外から見物させてもらって通るしか、ねえ。
妻のお多津は「ここでの懐石料理を今回の旅程に入れていないのは計画としてなっていない」とかなんとかぶつくさ言っているようだったけど、聞かなかったことにしてどんどん進む。
さて、そうこうするうちに昼時になり腹も減って来た。おしゃれな感じのスパゲッティ屋さんがあったので、これでお多津もご機嫌治るだろ、と「ここでどう?」というと、なぜかゴンちゃんが猛反対。
いや、お前、食べれる時に食べとかないと、これでご飯屋さん無かったら知らんぞ、などとちょっともめながら進んでいるうちに、今度はハンバーグ屋さんがあった。
今度はゴンちゃんも即納得。どうも、旅の事よりもその他の事に振り回されてる気もしなくもないが、お供の平穏は旅の平穏である。
ところで、このハンバーグ屋さんはちょっと書いておきたいくらい美味しいお店で名前は「グリル アラベル」。お店の外観写真を撮って出発しよう、と思っていたのに、出発間際、ベー子のベビーカーがお店の入口に置いてあったメニュー看板にぶつかって、看板を倒してしまい、看板にくっつけてあった電球を割ってしまったりして、なんだかバタバタしてしまい、写真も撮れずじまい。お店の方、あの時はすみませんでした。
そうして、腹ごしらえをして、再度出発すると浅間神社があった。ここの神社は江戸時代には、謎の横穴があってそこが富士山につながってるという噂があって名所だったらしい。その横穴は横穴式の古墳の名残だったようだが、今はもう残っていないらしい。
それでも、何かあるかも、とまたベビーカーを担いで神社まで階段を上って下って大汗を書いた。しかし、今、こうして書いていて思ったのだけど、大綱金刀比羅神社にあった弁財天の洞穴も、もしかしたらそんな横穴かもね。
突如のアジアンマーケット
さて、もう少し進むと急に旧道に門のようにアーチ状の看板が付き、なんだだか急に雰囲気が盛り上がってきた。松原商店街という商店街なのであった。
そこはもう、これはお祭りか? アメ横か? と思うような盛り上がりで、気配はアメ横も通り越して東南アジアのマーケットである。売る人も買う人もワイワイやってるし、八百屋は商品を店先に並べた後の空箱を屋根の上にぶん投げてるしで、大騒ぎ。しかもこれ、今日だけのお祭りではなくて、どうも毎日やっているらしい。
実に楽しい通りなのである。
その商店街のまだ入り口で、少し静かなあたりに一軒の豆腐屋さんがあった。覗いてみるとお爺さんが一人でやっているようだ。こういう豆腐屋さんは減ってしまったよなあ、と懐かしくなって、豆腐と厚揚げを今夜のおかずに買うことにした。
「おいしかったら、また来てね」
とおじいさんに声を掛けられ、進む我々であった。
マーケットが終わったあたりに橘樹神社という神社があった。
ここの境内には「力石」という人間の上半身くらいの大きさの石がいくつか置いてあった。こういうのは僕が育った相模原の神社でもたまに見かけるもので、昔は村の若者が持ち上げて力比べをしたんだとか聞いたことがある。
そんな話を、お多津、ゴン、ベー子に披露し、「では」と力強く持ち上げようとした俺であったが、我が努力もむなしく、力石は「ビク」と動いた程度であった。
神社の社務所では、おばあさんがゴンに「どこから来たの?」と声をかけてくれ、東海道を歩いているのだ、という話をすると「あら偉いわねえ」と袋いっぱいのお菓子をくれた。
「こないだ豆まきで子供たちに配った残りだから、いいのよ」
というので、遠慮なくいただいたが、さっきの豆腐屋さんといい、このおばあさんといい、だんだん都会を離れてきて、地元の人と普通の話をできている感じが嬉しかった。
さてこの後、少し進むとお寺が有ったのだが、ちょっとこのお寺が印象深かった。
というのは、このお寺、建物はコンクリート造りでその壁面にはステンドグラスがはまっている。参道の両側にはなぜか五右衛門風呂の釜のようなものが1対鎮座しており、その参道の敷石には、仏陀の足跡なんですかね、不思議な足裏マークみたいなのが彫り込まれていて、今日、大綱金刀比羅神社と橘樹神社という、神社としてもしっとりとした落ち着いた神社を参拝してきた後でこのオブジェを見ると、なんだか仏教というのはちょっと「アタラシイ」ものなんだな、というのが変な実感として感じられたのだ。あ、私、死後は仏様にお世話になるつもりでおりますので、文句を言っているわけではありません。悪しからず。
さて、なんだか、長くなってしまいましたが、そんなわけで、この後ちゃんと公園でも少し遊び、東海道53公園もクリアしつつ、夕方4時、目的の保土ヶ谷駅へ到着したのでありました。
なんと、本日の歩行距離5キロ、歩行時間5時間。
ずいぶん一生懸命歩いたような気がするのだけど、時速1キロの徒歩の旅なのでありました。
あ、そうそう。途中で買ったおじいさんの豆腐屋さんの豆腐なんですが・・・。
これが、ものすごく懐かしい味で最高においしかったのです。昔、おれが3、4歳から20歳くらいまでの間、我が町には「越後屋とうふ店」という豆腐屋さんがあって、いつも夕方になるとおじさんが軽のバンでラッパの音をプーと鳴らし、豆腐を売りに来てくれていたのだ。その豆腐屋さんが、豆をつぶす機械が壊れたとかでお店をやめてしまってから、あの懐かしい豆腐の味に一度も出会っていなかったのだが、この保土ヶ谷の松原商店街の「手造り豆腐の店 村上商店」のおじいさんの豆腐、その味がしたのだ。ほんとに驚いた。感動した。
そして、その後、そのあたりへ出かけたときに、この辺りだったかなあという場所を探したのだけど、見当たらず、さっき、当時の写真を手元にグーグルストリートビューで松原商店街を覗いてみたら・・・、「村上商店」は別のお店になってしまっていたのだった。
本当に残念。
本日の歩行距離:約5キロ
歩行時間:5時間