「ぼく、どこいくの?」
前回の徒歩の旅から4カ月。
2012年6月24日、6回目の東海道徒歩の旅に出た。
今回も、妻のお多津、息子のゴンちゃん、娘のベー子との4人旅だ。
息子のゴンちゃんは4歳になった。前回、初参戦のベー子は9カ月の赤ん坊だ。
この3週間ほど前に引っ越しをしたので、荷物の片付けなんかしなきゃならんのじゃないか、という若干の後ろめたさもありつつ、
「今回はね、保土ヶ谷から戸塚への道だよ。箱根駅伝で有名な権太坂も通るよ。きっといい道だよ。歩きたいねー。ぜひ、今週末あたり行きたいねー。」
とお多津を口説き落とし、無事出発の運びとなったのである。
JRの在来線に乗って、保土ヶ谷駅へ向かっていると、我々4人と隣り合ったおじいさんがゴンちゃんに、
「ぼく、いいねえ。お父さんたちとお出かけだね。どこ行くの?」
と尋ねた。横浜線の車内だったので、きっとおじいさんは「横浜」という答えを待っていたのだと思うのだが、ゴン曰く
「東海道」
おじいさんは「???」という顔をしていたが、ゴンちゃんは自信満々だ。
そうして、電車を乗り換え、保土ヶ谷駅に着いたので、ゴンちゃんに「降りるよ」と声をかけると、ゴン曰く
「ここ東海道?」
どうもゴンちゃんもわかっているのか怪しいのであった。どうも「東海道」という「場所」に向かっていると思っている節があるのだ。
いざ、権太坂
さて、前回の終着地点保土ヶ谷駅前を出発する。
今回もベビーカーを押してきたが、そこにはベー子が乗っているのでゴンには歩いてもらわねばならぬ。本日は9kmばかり進みたいと思っているので、ゴンの頑張りが大事だ。
いざ、行こう、ゴン!
と横を見ると、スタートからなぜかご機嫌斜めのご様子である。
ゴンが歩いてくれなければ本日の前進はままならないので、ここは全力で楽しいお散歩を演出しなければならない。
むやみに明るく「いっちに! いっちに!」と歩き出した私であった。
そのうち、ゴンもなんだか楽しくなってきたらしく、元気に走り出したので、なんとか本日のスタートを切ることができた。
道はしばらく車も通る大きな道だったが、少し行くと「旧道→」という看板があって、そこからは静かな道になった。
少し行くと樹源寺というお寺が有って、本日の道すがらではこのお寺が一番大きなお寺のようだったので、ここで御朱印をいただきたいなあと思っていたのだが、石段を上がっていくと
「檀家以外立ち入りをご遠慮ください」
と立札が立っていて、ちょっと勇気が必要だったけれど、玄関で声をかけると御朱印をいただけた。
池のある立派な庭があったけれど、なんとなく気後れしてそそくさと出てきてしまった。
さて、そこから少し行くと、道は坂道に差し掛かる。
権太坂の入口だ。
権太坂と言ったら箱根駅伝で最初の難所として有名だけれど、たしかに東海道を歩いてきて初めての大きな坂だ。だらだらと長い坂が続く。
ベー子を乗せたベビーカーをゴロゴロ押しながら進む。
と、突如、その坂が陸橋になった。
陸橋の下には高速道路のような片側3車線の保土ヶ谷バイパス、その側道3車線、合わせて9車線が走っている。
この巨大自動車道路を造るために、この山すそを削ったので、もともと山の尾根を通っていた旧東海道が宙に浮いてしまっているのであった。
なんと、江戸時代の主要幹線道路がすっかりただの陸橋に成り下がり、現代の道の上にかろうじて残っている感じなのであった。
おい、下を行く車の人々! 君ら、旧東海道をくぐっているのをご存じか!!!
下の道をびゅんびゅん走っているドライバーたちに放送してやりたい私であった。
陸橋をすぎても、だらだらの権太坂はまだ続く。
そのうちゴンちゃんは疲れてしまって、もう動けないというので、ゴンをベビーカーへ座らせ、ベー子をお多津が抱っこして進むことになった。
ゴンはベビーカーに乗ってご機嫌で、のんきに絵本など読んでいる。
境木立場でおじぞうさんもなか
さて、この権太坂を進む間、ところどころの電柱に「おじぞうさんもなか」という看板がくっついていて、お多津は俄然張り切りだし
「私は東海道五十三味覚でいく! 今日はもなか」
と突然の宣言をしたのであった。
「おじぞうさんもなか」を商う和菓子屋さんは、権太坂を登り切ったあたりで旧東海道を50m程それたところにあったので、往復100mの歩行がもったいないのではないか、と俺は言ってみたのだが、お多津は猪突猛進的に和菓子屋さんへ向かったのであった。
お店には「お団子」もあって、旅人は茶店でお団子なのではないか、と心をくすぐられたが、お多津のチョイスは「ごんた餅」と「おじぞうさんもなか」であった。
お多津は「こんなお店が近所に欲しい」と感激しきりなのであった。
東海道に戻ると少し先に境木立場跡というところがあって、ここは昔から旅人の休憩所だったところだという。昔は茶店があったらしい。
いまはちょっとした広場に石のベンチがあるだけだけど、そのベンチに座ってさっき買ってきた「ごんた餅」を食べることにした。俺は甘いものが苦手で、実はあんまりあんこだとか饅頭だとかは好きじゃないのだけど、白状してしまうとこの「ごんた餅」はうまかった。
旅がそうさせたのか、ほんとにうまいのか、両方かな。
ゴンもごんた餅をペロッと食べ、ベー子は持参のバナナを1本食べた。お多津はおじぞうさんもなかだ。
腹を満たしたゴンは、おもむろに自分のデイパックから色鉛筆とスケッチブックを取り出して、何やらお絵かきを始めた。旅の思い出にバナナの絵を描いたようだ。
品濃坂でベー子張り切る
この休憩所のすぐ前にある境木地蔵尊にお参りして、また出かけることにした。
このさきの品濃一里塚の辺りの道は、これが東海道か、と思うほどの細い道で左右からはうっそうとした木々に囲まれ、すこし薄暗く、ちょっと怖いくらいの道だった。昔だったら山姥か山賊でも出そうな気配だ。でも、昔の面影を残していそうなその雰囲気が実に味わい深かった。
丁度そのあたりを通っているとき、それまでベビーカーでぐったり座っていたり、お多津に抱っこされたりしてここまでやって来たベー子を俺が抱きかかえて歩いていた。
ちょっと思いついて、ベー子を前向きに抱いて、少し宙に浮かせるように左右からわきの下を支えてやると、ベー子はぶらんと垂れた足をバタバタと前後に動かし、きゃっきゃきゃっきゃと喜んでいる。
どうも彼女も自分で歩いている気分になっているらしい。
歩いている感じを出してやろうと、「とっとっとっと、とっとっとっと」と掛け声をかけてやると、さらに足をバタバタさせて喜んでいる。
こんな小さいやつでも、一緒に進んでいる気になってるのかな、とこちらも嬉しくなった。
その先は、今度は下り坂であった。
坂の名前は品濃坂。そしてこの坂も、権太坂と同じように、環状2号という新しい巨大な道にどてっぱらを削られ、陸橋となって下っていくのであった。
こうして、道は戸塚へと下っていき、戸塚の駅の近くで偶然銭湯を見つけたので、みんなでひとっぷろ浴びて、本日の徒歩の旅はこれまでとしたのでありました。
ところで、この日、権太坂、品濃坂という二つの坂が、巨大な道に削られて陸橋になって宙に浮いてしまっているのを見てから、「ああそうか」と似たような陸橋が目に付くようになった。そう思って高速道路を走っていると、高速道路にかかる陸橋とか橋というのがよくあるけれど、あれは陸橋とか橋の方が、昔から地元の人の生活の道として先にあって、そこに高速道路がとおったために、生活道路を残す術としてああなっているのだ、ということに気づいたのだ。そうおもうと、ああいう陸橋や橋は、周りの肉をそぎ落とされてしまった血管のようにも見えて、なんだか少し悲しい気もするのです。
本日の歩行時間:5時間30分(風呂を除くと4時間40分)
歩行距離:9.5km