第4回東海道徒歩の旅 川崎を立つ
前回の徒歩の旅から約半年、2011年11月20日に第4回目の徒歩の旅に出た。
今回は川崎を出て神奈川まで行こうと思う。距離は約10キロ。
始めの頃、と言ってもまだ4回目なので実はまだ始めの頃なのだけど、歩き始めた当初、江戸時代の人は1日に40キロ歩いていたらしい、おれもその半分は行けるだろう、なんて思っていたのは夢のまた夢。全く無理な話だと早くも悟ったのであった。
なんせ、これまでの歩行距離は、1回目8キロ、2回目6キロ、3回目7.5キロである。
なので、今回の目標の10キロもなかなかのものなのだ。成功すれば1日の最高記録である。
そしてもちろん、今回も子連れなのである。3歳半になったゴンちゃんと一緒だ。
まずは電車に乗って川崎駅へ向かった。前回終着点は川崎駅前の砂子交差点だ。
川崎駅に降り立つと、クリスピークリームドーナツのお店があった。このドーナツチェーン、登場当初ずいぶん人気で何時間も並ばないと買えない代物だったけど、少し落ち着いてきて、その日はすぐに買えそうであった。
「ゴン、ドーナツ買ってくか?」
「うん」
まあ、ドーナツを要らないという子供はまず居ないだろう。彼はクリスマス限定の雪だるま型ドーナツとリース型ドーナツを選んだ。
限定ドーナツは他のより少しお高いのであったが、まあいい。お腰に付けたきびだんごだと思えば強い味方だ。
彼が疲れたら、すぐに食べさせよう。
そんなわけで、旧東海道を川崎駅前の砂子交差点より歩き始めたのであった。
時に時間は9時50分。
もう、「朝」という時間はとっくに過ぎ、もうすぐ昼という感覚の時間帯だが、川崎駅前は異世界だった。
そこらへんの路地からは酔っぱらった若者がわいわい言いながら出てくる。なんだか疲れ果てたホスト風の兄ちゃんもヨタヨタ歩いている。前日嵐だったので、そこら辺の道端には骨の折れたビニール傘が捨ててある。なんなら布団も捨ててある。
なんだか子供と歩くところではないなあ、と思いつつしかしこれが旧東海道なのであって、ずんずん進む。
そのうち、スーパーマンの格好をしたカエルの像が壁面にくっついているパチンコ屋が右手に、でっかいカニがワサワサしてるかに道楽の看板が左手に出てきて、なんだかよくわからんながらもゴンちゃんはご機嫌だ。
しばらく行くと八丁畷でここに芭蕉の句碑があった。
ゴンちゃんは句碑よりもその横に置かれたお地蔵さんの方に興味を持って、何か熱心に祈っていた。お地蔵さんに祈って、そして言った。
「ドーナツ」
おい、まだ出発して30分だぞ。ちょっとしか進んでないぞ。
しかし、腹が減っては戦ができないのも事実で、そしてここでへそを曲げられてはこの先お先真っ暗だ。早くもお腰に付けたきびだんごをひとつ使うこととなった。雪だるま型のドーナツである。
ドーナツを食べたゴンちゃんは、また機嫌よく歩き始めた。
先ほどの川崎駅前の繁華街は終わり、このあたり、すっかり住宅街で、この旧道と並行してバイパスが走っているのでこの道は静かな道なのだが、かといっていわゆるただの道で、東海道の風情を楽しむような道でもない。
それでもたまに神社があったり、一里塚の跡があったり、阿修羅か何かの石像が小さな祠に立っていたり、歴史の名残を感じながら進むのであった。
ゴンちゃんは今回、自作の工作のカメラを持ってきていて、それはボール紙の箱に丸くレンズのようなものを貼りつけひもを付けたもので、もちろん写真を撮れるわけではないのだけれど、それを首にぶら下げて歩いている。
自分の気になるものを見つけるとカメラを向け、無心にシャッターを切るのであった。途中で見かけた阿修羅像はとくにお気に入りのようであった。
今日のゴンちゃんは今までになくやる気で、まるで走るようにずんずん進む。
まさかのいいとこ、生麦
出発して1時間半ほどして、鶴見川を渡った。渡った先には鶴見神社があって、七五三の家族連れでにぎわっていた。なんかすこし、お邪魔します、という感じでお参りをさせてもらった。
その近くに公園があった。ゴンちゃんにとってはこの東海道徒歩の旅は公園探しの旅の体をなしてきていて、公園を見つけたら遊ばずにはいられない。おれはこの間まで公園を見つけると「あー、また時間をロスする」と思っていたのだが、今回は「東海道53公園に向けてノルマクリア」と心の片隅でちょっとだけ思ったのを告白してしまう。
そして、ゴンちゃんはこの公園で二つ目のドーナツを食べた。
こうして我々はまた勇ましく出発した。
あ、そういえば、ここまで読んでお気づきの方もいるかもしれないが(その前に読んでる人はいるのかという質問は禁止させていただいております)、今回、我々は完全徒歩の旅なのだ。前回のようにベビーカーは持ってきていないのだ。
ゴンちゃんもずいぶん体力がついてきたし、ちゃんと歩けるだろう、それこそ徒歩の旅である、と凛々しく出てきたのだ。
旧道は鶴見駅前を過ぎ、ここまで並行して走って来た第一京浜とクロスして、生麦へと入っていく。
生麦、というと生麦事件が思い浮かんで、ついでに生首なんて言葉も連想してしまい、なんだか血生臭い場所だと勝手に思っていたのだけど、実際に通る生麦の旧道は実にいい道だった。
通りは少し広いのだけど、どこかのんびりした雰囲気で静かだ。道の両側には漁師さんの店なのか、魚屋さんが並び、もうこの時間営業していない店が多かったけれど、店先で道具を洗ったりしている人たちがいた。
何だ、生麦いいところじゃん。
感じのいい通りの終わり辺りにお弁当屋さんがあった。そこでおにぎりを買って店先で食べ、また歩き出した。
そこから道は急に無機質な感じになり、左手は道路工事中だとかでずっと囲いがされている。その右手に「生麦事件碑」があった。しかし、この場所で事件があったのではなく、(事件があったのはさっきのお弁当屋さんより100mくらい川崎寄りのようだ)、しかもこの碑も現在道路工事のため臨時でここへ移動されてきたらしく、真新しい木造の屋根に守られて、なんだか少し場違いなところに立たされているようで、なんだか気の毒に見えた。
そこを過ぎるとすぐに旧道は第一京浜と合流するのだが、その左手はキリンビールの工場であった。そしてその工場の入口ゲートまで行くと、ゲートの先にレストランのようなものが見える。もしや、と思ってレストランに入って聞くと、ああ、まさかうれしや、ここのレストランで出来立ての、しかもオリジナルのビールを飲めるのだという。
ゴンちゃんには悪いが、これは飲まねばならぬ。いや、彼にはドーナツを買ってあげたじゃないか。急に大義名分を手に入れ、力強くレストランの席に着いた。
そして、ウェイター氏のおすすめのオリジナルビール「スプリングバレー」を飲んだ。さっぱりしていてうまい。
しかるにメニューには他にも、あと7種類のビールが載っている。
これは飲んでおいた方が良いのではないか。滅多に来れるわけでもない。我が座右の銘は「旅先でビール」だ。ここで飲まずにいつ飲むというのだ。
そんなに悩んだかどうか忘れたが、気づいたらテーブルには次の1杯「ヴァイツェン」が運ばれてきた。こちらもさっぱりしていたが、麦芽の香りがして実に結構だった。
さて、ところで、そうやってビールを堪能している間に、おおなんという事だ、ゴンちゃんが寝てしまった。
最初、一人でいす椅子に座っていたのだが、そのうちうとうとし始めてしまい、実はゴンちゃんを抱きかかえながらビールを飲んでいたのであった。今日はここまでしっかり歩いてきたうえ、さっきおにぎりも食べたので眠くなったのだろう。
この旅、ここからが大変であった。
もう、生麦も過ぎたし、今日のゴールはすぐだろう、眠ったゴンちゃんを抱きかかえて歩き始めた。しかし、眠った子供は重い。そして、ビールを2杯飲んだ体も重い。
ああ、やはりベビーカー押してくるんだった。
先ほどまでのビールの爽快感が嘘のように、足取りも重く汗だくで進むおれなのであった。ずいぶん頑張っているのに全然進んでる気がしない。苦行のような気がしてきた。
「これが人生の重みか」
と妙なことまで思う始末。
やっとのことでたどり着いた神奈川宿では洲崎大神で御朱印をいただこうと思っていたのに、やってませんと断られ、なんだか悲しくなってきた。
それでも最後の気力を振り絞り、京急神奈川駅に到着。
実はここで妻のお多津、初登場の娘のベー子と合流する約束をしていたのだ。ベー子は生後2カ月で東海道初参戦である。
京急神奈川の駅のすぐ先に今日のゴールと決めていた本覚寺があった。本覚寺は、幕末、アメリカ領事館になっていた寺で、小説などでも度々登場するので、一度訪ねてみたいと思っていたお寺なのだ。
そんなわけで、本覚寺で御朱印をいただき、この日の旅はここでおしまいなのであった。
こんな長い回、もし読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。
あ、そうそう、帰ってきてから調べてみたら、ビールを飲んだ地点、ほとんどゴールのつもりだったのだけど、実は半分をちょっと過ぎた位の所だったのでした。
(つづく)
本日の歩行距離:10km
歩行時間:6時間20分