いざ、出発。
「ごーん!」
「ごんちゃーん!」
の掛け声のもとついに、東海道徒歩の旅が始まった。
日本橋の北詰、日本のすべての道のスタート地点「日本国道元標」の碑のあるところからスタートして、まずは目の前の日本橋を渡る。
今まで何度も車で通ったことのある橋だが、歩いて渡るのは初めてかもしれない。
橋の上にさらに首都高速が通って日本橋をすっかり覆ってしまっているのは、分かってはいてもやはり興醒めだったが、しかし本日は我々の心意気は違う。ん? 待てよ。散歩気分の妻とゴンちゃんはそうでもないかもしれないが、とにかく俺の心意気は違う。なんせ、我々は歩いているのだ! 東海道を歩いているのだ! この道の先は京都なのだ!
この日本橋を渡りながら、はるか500㎞先の京都を頭に描いている人が何人いることか。でもしかし、俺の頭の中には京都が見えていたのであった。
「そうだ、京都行こう。徒歩で」
どっかのCMのキャッチフレーズをつぶやきながら、悦に入って進むのであった。
しかしである。
ゴンちゃんは2歳になったばかりで、まだまだ小さい。少しの間、張り切って歩いていても、叱咤激励してあげないと途端に疲れちゃうのである。
俺は「いちに、いちに、」と掛け声をかけ、何とか前へ進もうとした。
そうして日本橋を渡り、横断歩道もわたって、よし、この勢いで進もう! と思った矢先、ゴンちゃんは歩みを止めた。
ここは日本橋から銀座へかけての中央通り。幅の広い石を敷いた歩道にはきれいな花が植えてあったのであった。ゴンちゃんは花に気を取られたのであった。
振り返ればまだ日本橋が見える。まだ300mほどしか進んでいない。
しかし、ここであんまり急かしてはいけない。楽しい気分で進まなければいけない。俺は、前に進みたくてはやる気持ちを抑えつつ、一緒にお花を愛でるのであった。
しばらく花を愛で、もういいだろうと気は急いたが「おいそろそろ行くぞ」などとは言わず
「よし、出発しよう!」
と明るく言った俺に、彼は
「抱っこ」
と言い放ったのであった。
ガクッと崩れ落ちそうな気分であった。
しかし、考えようによっては抱っこをすればこちらのペースで歩けるわけで、その方が前に進めるなと気が付き、抱っこでもおんぶでも何でもします、肩車でもしちゃいますか、となぜか圧倒的に下手に出ることになって、歩行者天国の銀座の通りをゴンちゃんを肩車しつつ進むことになった。
しかしここにも罠が待っていた。
ベビーカーを押しつつ横を歩いていた妻が、「あ、ロクシタン」などと言って、あれは何ですか、化粧品屋ですか? ハンドクリーム屋ですか? とにかく銀座通りに面したその店へ入って行ったのであった。
そんなわけで、一日40㎞進もうではないか、それは難しくても、20㎞くらいは進めるんじゃないか、という我が目論見はずいぶんと甘い予測だったのではなかろうかとうっすら気づき始めたのであった。
そうして新橋を過ぎ、芝へ来た。東海道を右へ折れ、増上寺に寄り道することにした。
増上寺では持参の御朱印帳に御朱印をいただいた。その時、ふと増上寺のオリジナルの御朱印帳も売られていることに気づき、あ、東海道の旅専用の御朱印帳を作ろう、と思いついて、その御朱印帳を手に入れた。
しかも、この御朱印帳、なんと葵の御紋が入っているのだ。まるで東海道歩きながら「ひかえい、ひかえい、この紋所が目に入らぬか」と言わせるために売ってるんじゃないかと思ったほどだ。もちろん、そこに記念すべき一つ目の御朱印をいただいた。
さて、それではまた出発。
といきたいところであったが、ゴンちゃんが動かない。お寺の境内に敷かれている砂利を拾うのに夢中であった。ああ、進まない。しかも、どうやらゴンちゃん、おむつの中にナニガシカをしているようで何やら匂ってきた。しょうがないので、境内の隅の木陰へ連れていき、おむつを交換した。ああ、進まない。
このままではほんとに進まないぞ、と妻に言うと、私作戦考えた、と言い、
「そうだ、ベビーカーに乗ってアイス食べよう!」
とゴンちゃんにい言った。すると彼はアイスを買ってもらって、おとなしくベビーカーに収まった。
ここからは速かった。
勝海舟と西郷隆盛の会見の地の碑のある旧薩摩藩邸の前を過ぎ、高輪大木戸の跡の石組みの脇を通り、泉岳寺では四十七士のお墓参りをして、夕方4時半、品川駅に着いた。
泉岳寺から品川までの道は緩やかにカーブしたJRの線路の向こうにガラス張りの高層ビルが並び、この緩やかなカーブは昔、波打ち際だったんだろうな、あの高層ビルが並ぶあたりは広重の浮世絵では帆掛け船が並んでいるあたりだな、という気配を感じた。
そんなわけで、これがわたくしの東海道徒歩の旅の1日目であった。
目標距離40キロ改め20キロ。実際は距離約8キロ、歩行時間約4時間の旅なのであった。
(つづく)