東海道徒歩の旅

東海道徒歩の旅 #01 旅のはじまり

旅のはじまり

東海道徒歩の旅、というのを始めて10年が経つ。

五街道の起点、お江戸日本橋から京都三条大橋まで歩いてみよう、という計画であった。

一日に歩けるところまで歩いてその日は終わり、次にまた前回の終着点をスタートにして歩き、旧東海道全行程を歩いてみようというのだ。

初めは10年もやれば京都についてしまうだろう、と思っていた。

江戸時代の人は、江戸から京都までの約500キロを十数日で歩いていたようだ。一日に40キロ程度歩いていたらしい。それじゃあ、俺だって一日に40キロ、全十数回、一年に数回歩けば10年もたてば、「ほら京都」のつもりだった。

試しに少し、いつも歩かないような距離を近所で歩いてみようと思った。

当時、ぼくは横浜市の磯子というところに住んでいたので、まずは手始めに横須賀まで歩いてみた。距離は17キロほどだ。朝出たらそんなに苦労もなく、昼頃には横須賀に着いた。

気をよくして、今度は鎌倉から磯子まで歩いてみた。

距離は20キロ弱。東海道の1日の目標距離の半分だ。古都鎌倉を抜けて切通しを通り、小高い峠を越え金沢八景へ。鎌倉時代の高貴な人たちは金沢八景で舟遊びなどしたというから、その人たちもこの道を超えたんだろう、なんて思いながら歩くその道は実に気分が良かった。

これなら、一日40キロの徒歩の旅もそんなに問題ないだろう、と思った。

こうして、2010年4月25日、ついに俺は旅に出たのだ。

こう書くと、まるでさすらいの一人旅のような颯爽とした気配も漂うのだけれど、しかし、実は違うのであった。

妻と当時2歳になったばかりの息子と旅に出たのであった。

つまり、まあ、散歩のようなものである。だってそうでしょう、まだ始めのうちは日本橋から横浜方面に向かって、つまり家の方へ向かってちょっとずつ近づいてくる旅なのだ。気楽な散歩のような旅なのであった。

京浜東北線で品川まで行き、駅の中の食堂で腹ごしらえをして、日本橋へ向かった。

こうしてついにスタート地点に立ったのであった。

思えば初めて「東海道を歩いてみたいな」と思ったのはいつだっただろうか。

高校生の頃だったような気もする。だとしたら、もうそれから10年以上もたっている。

2004年初版発行の山と渓谷社「歩く旅シリーズ 東海道を歩く」を歩き始める前から持っていたから、ずいぶん前から「歩いてみたい」気持ちはあったはずだ。

子連れの旅であるので、そして江戸へのタイムスリップ気分も持ちつつの旅であるので、実はどんな劇だかよく知らないのであるが時代劇の「子連れ狼」で「大五郎ー!」「ちゃーん!」というやり取りが有ったのをうっすら記憶していて、わが息子にもそのやり取りを教えてあった。

息子の名前はまあ、置いておくとして、彼の名前を付けるのに妻となかなか意見が合わず、生まれてからしばらく彼は名前が決まらなかった。その間、彼の祖父に当たる我が父からたまに電話がかかってきて

「ゴンちゃん、元気?」

などというのであった。名無しのゴンちゃんである。

なので、この手記の中では彼の名前は「ゴンちゃん」でいこうと思う。

そのゴンちゃんに、俺が「ごーん!」と言ったら、きみは「ちゃーん!」と答えるのであるぞ、と教えてあった。

いざ、旅立ちの時。

俺は傍らに立つゴンちゃんに声をかけた

「ごーん!」

「ごんちゃーん!」

「ちがーう! ”ちゃーん”だけでいいの!」

こうして旅は始まったのであった。

(つづく)

東海道徒歩の旅 #02 いざ、出発いざ、出発。 「ごーん!」 「ごんちゃーん!」 の掛け声のもとついに、東海道徒歩の旅が始まった。 日本橋の北詰、日本...

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