東海道徒歩の旅

東海道徒歩の旅 #03 鈴ヶ森で行き倒れ

第2回東海道徒歩の旅 品川を立つ

記念すべき東海道徒歩の旅のスタートを切ってから約7か月、2010年11月28日、2回目の旅に出ることになった。

前回の終点、品川駅前がスタート地点だ。

ちょっと家を出るのが遅くなり、品川に着いたら昼になってしまったが、それはそれ、駅中のレストランでハンバーグ定食だのとんかつ定食だの食べて、やる気十分での出発である・・・、大人は。

大人というのはわたくしと妻の事で、いつまでも妻、妻とも書いていられないので名前をお教えすると、「お多津」(おたつ)という。もちろん仮名である。仮名なら、もっとしゃれた名前がいいのではないか、ルミとかジュンとかそんなんでもいいのではないかというご指摘は甘んじてお受けするけれども、兎に角、妻の名は「お多津」なのである。

それで拙者とお多津は品川駅前で

「行くぜよ」「はい、旦那様」

などと声を掛け合って出かけたのであった。

するとだ、やっとここで登場するのであるけれど、われらの息子ゴンちゃん(2歳半)が、出発3分、歩行距離100mほどではやくもストライキを始めるではないか。おい、まだ出たばかりだぞ。

彼はコンクリートの歩道にしゃがみ込み褒めてもおだてても岩のように動かないのであった。

彼の愛してやまないものは「公園」で、「公園に行こう」という提案には即座に反応するので、騙すつもりはないけれど、「よし、じゃあ、歩いて行って公園があったら遊ぼう!」などと言って、やっとこさ進めることになった。

それから10分も歩いたか、距離では200mくらいじゃないかと思うけれども、箱根駅伝名ででも名前を聞く「八山橋」という橋に出る。橋といっても川にかかる橋ではなくて、下を通るのは電車だ。それも線路が何本あるのか、山手線、京浜東北線、東海道本線、それに新幹線まで通る。もしかしたらもっと通ってるかもしれない。

子どもというのは電車が好きだから、ゴンちゃんは大喜びでここでまた我々の歩みは止まってしまう。ああ、なんてこった、と思ったがじゃんじゃん通る列車は大人にもなかなか見ごたえがあった。

八山橋を渡り、京急の踏切を渡ると道は急に細くなり、と言っても車が十分すれ違える道幅だが、先ほどまでのように車が片側数車線の道を車がブンブン走るような道ではなく、おとなしい道、昔ながらの気配をうっすら残す東海道の旧道に入ったのであった。そして、ここからが一つ目の宿場「品川宿」なのであった。

品川宿にはもう昔ながらのいかにも「宿場」「江戸時代」というのを感じさせる建物なんかはもうほとんどないけれど、でもいわゆる東京の新しい街とはちがう雰囲気があった。

それに「問答河岸跡」などという石碑も立っていて、昔三代将軍徳川家光と東海寺の住職の沢庵和尚が

「なんでこんなに海が近いのに東(遠)海寺?」

「なんで大軍を率いて将(小)軍?」

て問答をしたとかしないとか、うんちくを語りながら歩いて、わたくし実にご機嫌なのであった。

東海寺

そんな私にゴンちゃんは

「ねえ、どこ行くの? 東海道まだつかないの?」

と聞いた。

「君、いま東海道にいるの。東海道を歩いてるの!」

と話したが、「何言ってんの?」という顔だ。

それから、旧道沿いにある「品川寺」(ほんせんじ)に参拝して御朱印をいただき、ゴンちゃんは鐘をゴーンと鳴らせてもらったり、手水の柄杓であそばせてもらったり、彼なりの楽しみ方をして、また旧道を行くのであった。

品川寺 御朱印

この日は旧道沿いはお祭りをやっていて、屋台が出ていたりして賑やかだった。

屋台のエリアが終わって少し寂しくなったころ、今度は昔ながらのパン屋さんがあって焼きたてコッペパン90円なんてのを見つけて、お多津もご機嫌であった。

そこから少し行くと「泪橋」がある。この先にある鈴ヶ森刑場へ向かう罪人と家族が涙で別れた橋だそうだ。

ゴンちゃんはその橋をなぜか後ろ歩きで渡り、まあ、後ろ歩きでも進んでくれさえすればおれも文句はないのであって、ぐんぐん後ろ歩きで進むのであった。

ところがここでまさかの伏兵が現れた。

「しながわ区民公園」である。

ゴンちゃんは突如「ついた!」と宣言し、猛然と公園へ進み、もはや我々の言葉には全く耳を貸さず、一心不乱に走り回ったのであった。

そうだ、彼は公園へ行きたかったのであった。

しかも、おれは「公園があったら遊ぼう」と約束したではないか。

夕闇が迫ってきた。でも、やっと遊べることになった彼は「そろそろ行こうよ」なんて声に全く耳を貸さない。夕方四時にもなると、空の色もずいぶん寂しくなってきた。

「おーい、もう行こう」

と説得し、また歩き始めたが、本日の目標、川崎宿はまだはるか先である。

公園から旧道に戻ると、少し暗い三角地帯があって、石碑が立っている。

そこが鈴ヶ森刑場跡であった。

磔にする際の柱を立てた穴をあけた礎石などもあり、なんだか薄暗いこの時間に来るのはちょっと恐ろしいようなところであった。

そのすぐ先に、大森海岸駅があった。

「もういいじゃない、今日はここまでで」

多分、二人同時にそういったと思う。

ああ、江戸時代じゃなくてよかった、こんなところで行き倒れたら大変だ。電車に乗ってうちに帰ろう、と家路についた。

(つづく)

本日の歩行距離:約6km

歩行時間:3時間40分

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