「おうおう、旅のブログを書くっていうけど、古墳のはなしばっかりじゃねえか!」
という声が聞こえてきそうなので、今回は旅の話を書きたいと思います。
東海道の赤坂宿、愛知県豊川市に大橋屋という旅籠があった。
「あった」というのは、いまは旅籠としての営業はしていないからで、創業1649年、360年以上の歴史を持つこの旅籠は2015年3月15日にその歴史を閉じてしまったのだ。
ぼくは2010年から、家族を引き連れて少しずつ東海道を歩いてゆく旅をはじめていて、この宿に泊まることはその旅のメインイベントとして楽しみにしていた作戦の一つだった。
ところが2015年2月25日の水曜日、ぼーっとネットのニュースを見ていると、その大橋屋が営業をやめるという記事が出ていたのだ。
あまりのことに「この大橋屋はあの大橋屋なのか、赤坂宿の大橋屋なのか?」と若干取り乱しつつ記事を読み返したが、やはりそうなのであった。
江戸時代からずっと営業をしてきた旅籠が、まさかこの「今」、営業をやめてしまうとは。
しばらくぼーっとしてしまったが、はっと気が付いて宿へ電話をしてみた。今週末、泊まれませんか、と。
しかし帰ってきた答えは「もう、一日2組までしか受けてなくて、今週末はいっぱいなのです」という答えだった。
ただ、「あの、見学だけでもさせてもらえませんか?」というお願いには、土曜日、午前中は他にも見学したいというグループがいるから、午後だったらいいよ、というお返事をいただけたのであった。
当日は小雨の降る中、車で西へ向かった。
音羽蒲郡のインターで降りて、国道1号を少し東へ戻り、少し離れて並行して走る旧東海道へ出ると大橋屋は静かに佇んでいた。
「こんにちは」
と声をかけて引き戸を開けると、はじめ人の気配がしなかったのだけど、土間を少し奥まで入って声をかけると女将さんが出てきてくれた。
電話で話したのは男性だったので、事のいきさつを話すと、「あら、どうぞ」と上げてくれて、1階の広間、急な階段を上った先にある3間続きの客間、さらに、改修して少し現代風になっている風呂や、建物の裏手へ続く、宴会使うのであろう大広間まで案内してくれた。
旧街道沿いに並ぶ2階の客間は、まったくいかにも旅籠らしい和室で、きっとこの部屋に芭蕉も広重も泊ったんだと思いますよ、なんて言われたらもう歴史が体に染み込んでくるようで言葉も出ないほどだった。
ぼくは最初は遠慮しながら「写真を撮らせてもらってもいいですか?」などと言って撮影をさせていただいていたのだが、そのうちどうしても我慢ができなくなって、あの、三脚を持ってきて撮影してもいいですか、などとわがままを言いだし、「どうぞどうぞ、ご自由に。ごゆっくり」と言われたのには有頂天で、それから本当にゆっくり撮影をさせてもらった。
きっといずれはこの建物は資料館か何かになって、また見学できる日は来るのだろうけれど、まだ旅籠として現役の、「生きている」大橋屋を感じたいと、畳に胡坐をかいてみたり、窓から旧街道をのぞいてみたり、贅沢な時間を過ごさせてもらった。
そうこうしているうちに、だんだん暗くなってきたので、もう一つわがままなお願いをして、通りに面した照明を点けていただき、暮れていく大橋屋の写真も撮影させていただいた。
すっかり日も暮れて、小雨のふる空も濃紺になってきたころ、ひとりの女性が傘をさして旅籠にやってきた。
残り何組かの、長い歴史の最後のお客さんの一人だった。
その後…
保存工事をされて、2019年4月より資料館としての公開がされているようです。